新京都学派の「言葉と教育」研究会

研究会の趣旨

 この研究会では、戦後に京都大学人文科学研究所(通称、人文研)を中心に活動していた知識人、つまり、新京都学派による「言葉」の研究に焦点を当てます。

 とはいえ、「新京都学派」という呼び名はごくジャーナリスティックなもので、確たる範囲があるわけではありません。そこで、本研究会では、「新京都学派」というまとまりを、戦後日本において、京都を中心に活躍した相互に影響下にある知識人のネットワークと大づかみに捉えた上で、「言葉」および「教育」に力点を置いた人たちに話題を絞ることにしました。

 

 戦後日本では、民主主義社会を構築することが急務とされていました。その焦りは、丸山眞男の『日本の思想』などを読めば実感してもらえることと思います。

 民主主義社会では、人びとが、自分の思想を的確な言葉で表現するとともに、他者の言葉、社会に流通する様々な言葉を読み解く力が前提とされています。お互いの意志を適切に伝えることが、市民としての能力の根幹にあるとみなされているのです。平たく言えば、「ちゃんと言葉にする(言う/書く)」「ちゃんと言葉を受け取る(読む/聞く)」ことが問題にされていたわけです。逆にいえば、「言葉」や「言語(化)」のについての議論の背後に、彼らの民主主義に対する考えを読み取ることができるでしょう。しかし、「民主主義に対する考え」といっても、それは、何らかの制度の推進や、政治的主張を積極的に述べることの推奨を意味しません。むしろ、他者理解の困難(ディスコミュニケーション)、知的遺産へのアクセス(博物館/文学など)、社会問題の読解(専門家による言語化)、想像力などを通して、彼らの社会像が暗示されていると考えています。

 こうした主題と並行するように、「知的自律性」の問題を見て取ることもできます。つまり、自分なりにあれこれ確かめ、調べ、考え、議論する能力のことです。新京都学派のなかには、批判的思考を育むことや、人びとを探求の主体に変えることに関心を持っていた人もいました。そのために、様々な「技法」を提示した人や、教育組織の立ち上げや運営にコミットした人がいるという点に、新京都学派の特徴があります。言うまでもなく、これは、ごく広い意味での「教育」への関心にほかなりません。もちろん、(広義の)教育の背後には、学習・歴史・共生・寛容・多様性といった社会と生のあり方に関わる主題が存在しています。

 このように、私たちが注目する思想家たちは、共通して、「言葉」および「教育」にアクセントを置いて民主主義を捉えました。当然ながら、彼らの議論の内実・方法などは、分野・世代・所属によって異なっています。だからこそ、こうして研究会を立ち上げ、このトピックを共同で探求することにしました。

 

 本研究会は、こうした知識人のネットワーク(=新京都学派)に注目しながら、彼らの「言語」や「教育」についての議論を再構築していきます。こうした議論を積み上げていくことで、彼らの民主主義のヴィジョンが明らかになってくるでしょう。それは、恐らく、生のスタイル(way of life)をどう組み立てていくのかという問題として現れてくるはずです。こうした協同的な作業によって、新京都学派の知的遺産に再注目することで、困難な時代を生きる私たちに何らかの指針が得られるかもしれません。

 

 この研究会は「公開」で行います。オブザーバー歓迎です。

 広い意味で、教育関係者、文章を書いている方、専門家ー非専門家のコミュニケーション、教育学・言語哲学・言語教育などのテーマに関心のある方などの参観を歓迎しています。また、じっくり「言葉」を交わしたいという考えから、研究会の時間配分は、かなり余裕をもって設定してあります。

 

共同主宰 谷川嘉浩・高田正哉 2018年9月22日

 

 

次回の研究会

 

しばらくありません。

書籍化に向けて動いています。